山形の風景

山形の風景

2011年8月22日月曜日

真夏の決闘  ゲインズボロー杯

「真夏の決闘」がいよいよ開催間近となりました。
皆様には、万端怠りないことと思います。
山形杯の前哨戦、1泊2日の戦いで誰が勝利するのか。
戦線は拡大し、ゴルフだけでは、勝敗は決せず、麻雀で失地回復を目指すチャンスもあります。
十分にお楽しみ下さい。
8月24日、乗り遅れないようにご注意下さい!

さて、山形杯の概要は以下の通りです。ここに掲載したものは案です。
最終決定は、今回のお宿で、
なお、山形の宿泊場所候補は松島館丹泉ホテルの二つです。どちらにするか決めましょう





2011年6月23日木曜日

真夏日の中の闘い

梅雨の合間の真夏日、脅威の回復を遂げた二挺木さんの快気祝いを兼ねていつものアドニス小川カントリ―クラブで山形杯を開催しました。
夕刻より、「女郎ウナギ」で精力を付け、さらなる躍進を誓いました。
結果は、ここに(山形杯)掲載しています。
手加減をしたのか、二挺木さんが大きく負けましたが、まだ拠出金は不十分の由。
拠出累計は、約16万円で、菅野会長の貢献が大きく目立ちます。
十月の山形杯開催に向けて、その日程と開催内容が次のように確認されました。
開催期間   : 10月15(土)、16(日)、17(月)
開催イベント : 芋煮会、温泉遊戯、ゴルフ&ゴルフ
開催概要   : 15日(東松山~山形) 芋煮会 温泉泊 16日(山形) ゴルフ 温泉泊 17日(山形~福島) ゴルフ (福島~東松山) 解散
予算(推定)  : 24万円(6万円/人)

「当初予定の7、8月の二回だけでは、実行予算が不足する」との懸念が、会長より表明されました。不足分を拠出するために8月のお盆を過ぎた頃、聖霊の力を借りて互助会を開催します。

2011年1月27日木曜日

山形杯 開催日程

昨日、先島杯の納会と、山形杯の発会をいつもの焼鳥屋で開催しました。
二挺木さんは不摂生が祟り突発性難聴ということで欠席でした。
先島杯、優勝の疲れが出たのでしょうか。
山形杯の日程は、以下の通りです。
各員、優勝を目指して、奮励努力して下さい。
第3回山形杯 3月24日(木)
第4回山形杯 4月12日(火)
第5回山形杯 5月24日(火)
第6回山形杯 6月22日(水)
第7回山形杯 7月20日(水)
第8回山形杯 9月13日(火)
第9回山形杯 10月15日(土)~16日(日)
ちなみに、以前のKNIA杯を山形杯として代用し、争奪戦とします。
新山形杯の写真を掲載しておきます。

2011年1月23日日曜日

会計報告

会計報告をここに掲載しておきます。

宮古島の思い出

先島杯の全貌をご覧下さい。

追記平成23年3月3日
柳田国男の「青年と学問」に宮古島に関する次のような記述を見つけました。

沖縄諸島のさらに南の果てに、宮古と呼ばれる島がどうして存在するか。奧州海岸の都島は既に「古今集」の歌に詠まれている。今の松島の宮戸島のことだともいえば、いやそれよりも遙か北にあるともいう。島ではないがとにかく陸中の閉伊にも、古くから宮古という港がある。
九州では豊前の京都郡なども、いろいろな伝説はあるが皇居とは関係がなさそうだから、同じ系統の一例には相違いない。何でまたこんな地名ができたか不思議のようであるが、やはり今日の都と元は一つの日本語であったとおもう思う。沖縄県の宮古島には、アヤゴと名づけて、古い歴史が多く韻文となって、口伝えに伝わっているが、その中には島をミヤコと呼んだ理由の伺われる文句が残っている。すなわち、ワーミヤクヌ(我がみやこの) ウフミヤクヌ(大みやこの)  云々という対句をもって、あの周囲わずか八九里の、珊瑚礁粉末の痩土の島を賛美しているのである。今日の国語では、ミヤには宮という漢字を宛て、これを宮廷か神社のみに使用することとなっているが、元はこの語の用途は広く、領主もしくは、部落長の住宅もミヤすなわち御家であり、従ってその所在地がミヤコであったものと思われる。内地にも宮原宮城という類の地名は多いが、沖縄本島でもところどころにいくつかの宮城があり、八重山では最初の主邑が宮良であった。少なくとも漢語のミヤよりは意味が広かったが、しかもこれに基づいてミヤビとヒナビを区分し、そのミヤコに住む者は既に我が土地に自得して、多く神話時代から住み続けてきたのである。

この小さな満足優越感が、どのくらい孤島の一宮古のための大いなる煩累であったかは、諸君の想像以上である。この島の人は今でこそ盛んに島外に出て行って、最も辛抱強くかつ精悍なる勤労をしているが、以前は少しでも出て行こうとせず、またそのような機会もなかった。そして目と鼻との間でそれはそれは激しい戦闘をしていた。生き残った勇士の家の功名談の裏から、滅ぼされた他系統の勇士の悲壮な終焉がよくわかる。
つまり両雄並び立たなかったのである。それ以外になお天災も多かった。シガリナミというのは海嘯(つなみ)のことで、島の記録には四海波という文字が宛ててあるが、われわれの使うような四海波静かではなく、いくつともなき邑里を荒跡とし、すなわち古き都はそちこちに畠となっている。井戸なども今は涸れたものが多い。何しろ人の増加が恐ろしい割合で、あるとき多く減じてもまた一杯になる。しかも天然に対してはこの通り無抵抗で、人同士は常に相争ったのである。そうして最後の勝利者の一群のみが栄えている。これがいわゆるヨカルビト(上流)となり、彼らの記録を保存しているのである。その記録を読んでみると、支配階級の家を保全した手段は二つ、そのひとつは主島への朝貢、ことに租税納付の約束である。第二には次の島の征服、これにも十分に中山王廷の背景勢力を利用している。これによって政治上にもはや抗争する者なき優越の一団ができて、大切なる島の統一は成し遂げたが、他の多数は争いえなかったというのみで、その生活は非常に悪かった。宮古島から征服せられた八重山の方でも、同じ結果に帰着している。古くからの酋長の後裔は、今百姓となってひどい圧抑に苦しんだが、それも今は三分二以上の村々が、今から百五十年前の大海嘯に滅亡して、その跡は歴史を少しも知らぬ他の小島の移民をもって補充せられ、外部から見た歴史は要するに士族のみの歴史である。

第2回南洋杯 先島杯

2011年1月19日から21日に賭けて、宮古島にて「先島杯を開催しました。
第1日 羽田空港(11:50発)→那覇空港(15:20発)→宮古島空港(16:10着)
第2日 ゴルフ(シラギベイカントリー) 午後遊覧船で海底探訪
第3日 ゴルフ(エメラルドコースト) 島内観光 宮古島空港(18:10発)→那覇空港(19:50発)→羽田空港(22:00着) 空港で解散
宮古島の風度、料理、泡盛を満喫しました。